2014年11月16日

【歴史オタネタ】行ってきました。彦根・埋木舎

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今だからこそ、行けた♪
今だから、行ってみたかったトコ、かな?w



さてさて。
名古屋に引っ越してきて
そろそろ1か月経とうとしてます。
仕事の事で日々は一杯ですが、
まぁ、それでも休日は出かけたりして
外でリフレッシュしてます。
・・・主にアメフト観戦ですがー;;

そんな中、この日はもう一つの意味での
お出かけしました。
久々に歴史名所へのおでかけです。
行ったのは、ココ。
20141116_003.JPG
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彦根っす〜ヽ( ´∀`)ノ。
駅でヒコにゃん、井伊直正がお出迎え♪

名古屋に引っ越したのに、
あえて名古屋名跡スルー(゜゜。


ま、機会はあるでしょw;

とにかく今は、是非とも行きたかった。
彦根にね。

そして目の前にある彦根城。
20141116_0005.JPG
・・・にも一歩も入らず
完全スルー(゜゜;。

目の前までは行きましたけどねー。

行きたかったのはココでした。
20141116_007.JPG
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埋木舎(うもれきのや)。
彦根城の目の前にある、こじんまりとした建屋です。
20141116_018.JPG
パッと見たら誰の史跡か
わかりづらいですが、
ここは幕末の大老、
井伊直弼が30代半ばまで
過ごしたところです。

井伊直弼と言えば、
・日米友好通商条約締結をした、
・安政の大獄を敢行した、
・そして桜田門外の変で横死した
幕末史に名を残す偉人です。

このいずれも評価は賛否両論。
ですが、そのどれもを
ほぼ独断で決済したのは
驚愕です。
権力横暴とも言えますが、
同時に既に協議できる人材すらおらず
やむなく独断した、ともとれます。
それほど衰退した組織になった
江戸幕府の最後の権力者、
でもありました。
その横死をもって
江戸幕府の権威は事実上消滅した
とも言えるでしょう。

その直弼が若き日を
ここで過ごしました。
20141116_010.JPG
いや、もしかしたら生涯を
ココで終えざるを得なかった場所です。
彼は本来、藩主にすら
なるはずのない人でしたから。

理由は彼が十四男だったから。
つまり跡継ぎ順位14番目。
常識的にどうあっても藩主には
なり得ない順位です。
こういった事は世襲制では
よくある事で、名家ほど
ある事です。
そして跡目確定となると、
残った候補は他家へ養子に
出されます。
しかしそれも上から順。
しかしそれも一定年齢以降は
将来性から若い順になっていき。
結局、直弼だけが取り残されます。
30代まで。
なんと残酷な事か。
家格優先、個人意志軽視の時代ゆえ
放逐もかないません。
必然一生飼い殺し、となるわけです。
直弼の心境は果たして
どうだったのかなぁ。
どうあっても何をやっても開けない
落胆と絶望の日々。

それでも直弼は、和歌・詩・武芸で
免許皆伝級の技を身に着けました。
すごい。
でも、付いた渾名は「チャカポン」。
これは「茶・歌・ポン」の意味で
「所詮、お茶と歌と鼓しか
やることがないだけさ」
と陰口をたたかれていた、
という評価でしかなかった、
という事です。
どんなに精進しても
評価されない。
むごい。。。
そして家格があるために
暴れることすら許されない。

私が当事者だったら、
生きること自体拷問とも
言えるこの環境に
耐えられるだろうか。
そう思わざるを得ませんでした。

しかしこの時に
側女である志津から知り得たのが
長野主膳という稀代の人材でした。
20141116_014.JPG
20141116_015.JPG
彼は才あれど身分がないため
それを生かす場所がない境遇。
それが直弼自身の境遇に重なり
また主膳も直弼に近い共感を覚え
無二の主従関係になったのでしょう。
その時点では、決して果たせない
空手形でしたでしょーが。

ですが皮肉にも歴史は
そんな二人に表舞台を用意しました。
主家がまさかの世継ぎ不在になり、
兄当主に養子入り。
そして兄の死後当主へ。
さらに大老へ。
世に埋もれるはずの二人に
まさかの大抜擢。
しかしあまりにも重すぎる
命題を与えました。

この中で二人は先の事を
成しました。
実質上、ホントにほぼ
二人だけで。
どれほどにものすごいのだ;;。
只々感嘆するのみです。
しかも二人は
・和宮降嫁
も画策してたんです。
直弼横死で頓挫しかけましたが、
主膳はその後も推進してました。
最終的に岩倉具視に乗っ取られましたがね。

ものすごいものです。
もし、時代が違い、
平時にこの二人での治世体制
であれば、彦根藩は相当に優れた
藩になり、名君・家臣として
崇められたんでないかなぁ?
でもあの時代では叶わないか。

あ。いや。むしろ逆か。
もし主家跡継ぎ問題がなければ
二人は業火の中を歩まなくて
済んだ、という可能性は
あったのか。
でもそれは幸せと言えたのかな?

まぁ、所詮机上の話。
「たられば」です。
歴史は全て必然であり事実です。
もし、はないのです。
その境遇の中で、二人は
名を残しました。
その事がすごいのです。
それが何故出来たのかを
少しでも感じたくて
来てみました。

来てどうなるというもの
でもないけど、
来てみて感じる何かはあったかな。
自分の身の丈で見た世界。
そこから見える風景。
感じる思い。馳せる想い。
感じる何か。
20141116_009.JPG

そう思える体験を
私も少しはしてきたのかな。
とても二人には及びませんが。
でも来てみて共感できるような
感覚は持てました。
それだけでも来た甲斐ありました。
20141116_006.JPG
うん。来て良かった(*´ω`)。

ではではー^^)/。



【コメント】→オクレ m(_ _)m(0) | 【トラックバック】→受付チゥヽ(´ー`)ノ(0) | 思ひ出ほろほろカメラ | 19:48 | 兵庫 ☁
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